11月11日、心中天の網島から始まった〜「大阪あそ歩」の見本

 11月11日は旧暦の10月14日。近松門左衛門の浄瑠璃本「心中天の網島」に描かれたふたり、紙屋治兵衛と紀ノ国屋遊女小春がまさに心中を遂げたその日に、その場所である都島の大長寺で、「大阪あそ歩」の記念すべき立ち上げ企画を挙行した。久しぶりに現場ではりきったから‘挙行した’という感じがぴったりとする。この企画、思いついた最初は、心中の現場を探して、さらにふたりが遺書を残した大長寺の本堂をお借りして「天の網島」を解説して、墓前に花を手向けるというような内容であったが、調べていくうちにその昔の大長寺の敷地は藤田伝三郎男爵の旧邸になり、いまは大阪市の公園になっていることがわかったり、近松を何度読んでも「なぜふたりが心中しなければならなかったのか」の疑問に取り憑かれたり、現在の歌舞伎狂言が近松半二や菅専助による改作だということがわかったり、昭和になって川田順の「老いらくの恋」が絡んだりで、こんなにおもろい話やったん?とあらためて近松の偉大さに気づいた。だれか大学の先生にでも解説を頼もうと思っていたけれど、こんなドラマチックな話をドラマチックに(しかもノーギャラで)話てくれそうな人を思いつかなかったので、私・茶谷幸治がしゃしゃり出て自分でやることにした。こうなると解説ではなく「語り」をやろう、そう決心した。

 なにも目立ちたかったのではない。「大阪あそ歩」は、まず、おもしろくなければならぬ。その一発目の企画で「おもろない」ことをやってしまっては、出足で足を挫いたマラソンのようなもので、ここはなんとか見本を(手本ではない)を示さねばならない。ひょっとこのお面を被ろうとも腹に筆絵を描こうとも、なんとしてでも大向うに「ああ、おもろかった」と言わせねばならない。つまり悲壮な覚悟というやつである。結果は、そこそこうまくいった。「妓が情けの底深き・・」という出だしを義太夫風に練習もした。昔の蜆川(曽根崎川)の写真も用意した。陸奥くんに拍子木まで打たせた。冷や汗ものであるが、反応は上出来で、参集してくれた70名近い人々(募集は50名だった)は感涙に咽んだはずだ(驚いて聞き入ったことはまちがいない)。ありがとう、理解ある参加者のみなさん。大学の先生や学生さん、ひごろのお付き合いのある女性たちが(平日の昼間は多くの人が働いていてやってこれない)後押ししてくれた。あとから、いくつかの反響ももらった。

 「大阪あそ歩」の、これが見本であるぞよ、諸君。‖膾紊砲泙弔錣蠅弔「おもろい話」を軸に展開しよう。まち歩きだってそうだ、歩くだけなら犬でもできる。「へえ、そんな話がありましたん?ここで」が大阪あそ歩の第一である。∨槓の現場を体験しよう。「ここや、これや」が重要で、「天の網島」も現場を歩いて、大長寺のその日にやるからおもしろい。ご住持がほんまに読経して回向し、ひとりずつ焼香して比翼塚に手を合わせるなんて、不思議な光景やったけど、ほんものの凄みがある。おもしろく語ろう。学校の講義やない。啓蒙でもない。「おもろい大阪」をおもしろく語り、歩き、楽しむ。それにプロの技はいらない。「聞いてほしい」という思いだけで十分である。語りの練習なんかいらない。自分もいっしょに楽しむ練習をしてほしい。

 「心中天の網島・大長寺」の企画でわかったこと。,海鵑箆辰魍擇靴澆燭い箸いΔ劼箸いっぱいいるということ。呼びかければ、平日の真昼間でも都心を離れた都島のお寺に集まってくれるということ。△海里笋衒でいくと、「まち歩き」も「まち遊び」も渾然一体となって盛り上がるということ。これを、大阪流の「まち歩き+まち遊び」の一つのモデルパターンにしたいな。大阪なら、できるかな。H駘僂麓益者負担が原則ということ。お寺へのお礼も、お花代も、資料代も、参加費ですべてまかなえた。参加費を少し大きくすれば、将来のキャストギャラも出るだろう。こうして、大阪に語り部がまたひとり増えていく。私の書いた台本は無料提供するから、来年はだれかやってくれ。大長寺さんも協力してくれはるはずや。

  まあ、うまくいってよかった。「こんなおもしろい企画、どうしてもっとPRしてくれはれへんの。私も知らんかったけど、友達に聞いて」と言ってくれた若い女性参加者の言葉が嬉しかった。そのうちだんだん広がりますよって、気長にお付き合いを(手作りの企画なのに、おカネかけて立派なチラシつくって、というやり方は似合わないでしょ。地道に、ちょっとずつ、やります。そのうちに・・・・)

 

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