「大阪あそ歩」始めます

 大阪コミュニティ・ツーリズム推進連絡協議会のチーフプロデューサーになってしまいました。大阪市と大阪商工会議所と大阪観光コンベンション協会と来年開催される「水都大阪2009」というイベントの実行委員会の4者が母体になってこの協議会が生まれました。難産だったと聞いています。何で難産だったのか、私にはわかりませんが、大阪で「コミュニティ・ツーリズム」の研究を重ねてきた橋爪教授や栗本さんや母倉氏は異口同音に「やっとできて感慨無量」とまで表現します。そのチーフプロデュサーに、横からやってきた私が突然なってしまったものだから、多少気が引けるのですが、橋爪さんには総合プロデューサーになってもらったし、みなさんの納得もついているようだから、「それじゃ」ということで、引き受けました。

 私は「長崎さるく博」のあとは、何にもしたくないと自適を楽しんでいたのですが、こうなってしまいました。長崎の仕事だって57歳で「これが最後」と観念して引き受けたことは、本にも書きました。「長崎さるく博」が集大成です、って言い切っていましたし、本音でそう思っていました。いま、62歳。自分でもいい加減にしろよと思いながら大阪の仕事を引き受けてしまった理由は、それが「大阪の仕事」だったからです。

 私は大阪生まれで、大阪育ち。それも場末で生まれ育った根っからの庶民です。事務所は大阪にありますから、大阪でそれなりに儲けさせていただきました。御堂筋パレードでも毎年いくつかのフロートを企画して制作していました。食博でもなんかやっていました。オリンピック招致にもかなりのことを請負いました。そういえば、「大阪世界帆船まつり」というのが83年に大阪城築城400年を記念して実施されましたが、ポルトガルやアルゼンチンからも帆船がやってきて日本ではその後二度とない大きな帆船パレードでしたが、これの演出運営を引き受けたのがわが社の大型イベント事始めでした。こんなふうに大阪で棲息させていただきながら、私自身が大阪の大きな活性化イベントをプロデュースしたことは一度もないのです。和歌山や兵庫や愛媛や広島や、神戸や京都や長崎やと、近隣・地方ではずいぶん頑張ってきたのに、大阪ではお呼びがかからなかったのです。

 そこへ、いまになって、突然「やってくれないか」ですから、迷いましたが、引き受けました。大阪で納得する仕事をひとつくらいやっておきたい、というところでしょう。しかも、その仕事が大阪のコミュニティ・ツーリズムの推進。つまり、大阪の風土文化による観光集客であり市民プライドの醸成です。「大阪は、YTT(吉本のお笑い、たこ焼き、タイガース)だけとちゃう。近松も西鶴も、吉兆もうどんすきもあるやろ。なんで文楽も成駒屋も観にゆかへんねん」と慨嘆していた私は、おそるおそる腰を上げました。「お前、引き時を忘れてんのとちゃうか」と言われそうだし「ここで失敗したら、いままでがパーやなあ」と長崎のときと同じことを考えました。でも、「やってみようか」と思う魅力が大阪にありました。「何とかせなあかん」という大義も見つけました。私の好きな某市の知識人に「あのコテコテの大阪のおばちゃんには来て欲しくない」という話を聞いたことがあります。ぜ、絶句です。この話、ほんまですよ。誤解も6階もされてるわ、大阪は。 

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