「長崎さるく博」が成功したのは (2)のぼせもんの構造

「長崎だからうまくいったけれど、ほかのまちでは?」とよく聞かれる。確かに、私も当初「長崎ならできる」と感じて勇んでみたのは事実だけど、ほんとにそういうことだったのだろうか。今では「いやあ、あなたのまちでもできますよ」と答えているが。

長崎人の性格で気づくのは「自由の気風」である。こう言うと言葉は硬いがつまり「気ままにやってる」ということだ。それは遊んで暮らしているということではない。無責任ということでもない。囚われがないということだろう。とにかく形式に頓着しない人が多いように、私には見える。この気質は、日本の貿易を独占していた都市の住民として形成されていったに違いない。帆船が入港して輸入された荷物が大きな商品価値を生んだとすると、船頼みの生活が出現することになる。ところが、天候が不順で海が荒れたら船は到着しないかもしれない。しかも、長崎の場合、オランダや中国の、つまり他人の都合に左右される。こんな不確定な生活基盤は、他にあまりみられない。農作は正反対で、天候に左右されるとはいうものの蒔いた種は実を結ぶところまで目前で確認できる。木材でも陶磁器でも織物でも、生産量はほぼ管理できる。長崎の住民はいつ手に入るとも知れぬ商品を待って人生を送っていた。しかし、ひとたび入手に成功すると巨大な富を得た。それも、まちぐるみで得た。こうなると形式や格式にこだわっていても生活は保障されるわけではなく、天下の無頼人としての性格を強めていく。のぼせもんの誕生である。

実は、このような都市住民の性格は、古くからの貿易港では共通して見られるらしい。神戸では「神戸人はおっちょこちょい(のりやすい)だ」と自分を性格づけている。北前船の集積港として富を得た兵庫の津の住民の気質である。函館はどうなんだろう。

「まち歩き」は、このような長崎人の気質に支えられて成立した。そうであるから「まち歩き」のルールはそれほど画一的なものではない。ガイドさんも、しゃべることは人によってバラバラである。個性があると言っておく。歌を歌うガイドもいれば、即興芝居を演る人もいる。やたらと歴史年月日を強調するひともいれば、人情話を得意にする人もいる。私は、それでいよいとして縛りを加えなかった。いや、そうでなければ長崎らしくないと思った。コースだって、地図に描かれた道順を忠実に回る必要などまったくない。天気と気分で気ままに工夫すればよい。参加も予約制が原則だけど、「東京からやってきました」という観光客を断るわけにもいかないので、ツアー数を増やすことになる。大雨でも参加者が「行きたい」と言えば、とりあえず出発して途中で「やっぱりやめた」ということもしばしばであった。ガイドさんだけではない、多くの市民がそれぞれのやり方で適当に「まち歩き博というイベント」に参加した。踊る市民もいれば、商売する人もいるし、自分で歩き回ることに専念した人も大勢いる。 すべての市民に「こうしなければならない」という義務感は全くない。 「まち」を楽しむとはそういうことではないか。だから、「まち」「歩き」は、このように成立させなければならないのではないか。「このように歩かねばならない」なんて、面白くないし、長崎には似合わない。

さて、「ほかのまちでもできるか」という問いに、私が「できる」と答えるのは、コースやルールにがんじがらめに縛られた「まち歩き」を目指すのではなく、それぞれに「気ままに」組み立てることができれば、できる。大切なことはそんな柔らかい仕組みで、ルールではない。コースも気ままで、ガイドさんも気ままで、気分はもっと気ままであれば、それは楽しく個性的なまち歩きになるはず。「仕組み」はつくるが「ルール」で縛ってはならない。これができるかどうかが、あなたのまちで可能かどうかの分岐点である。

まちを歩くとは、自由の空気を吸うことである。ヨーロッパでは11世紀から12世紀にかけて、土地に縛られた農村の生活から逸脱して(逃げ出して、あるいは追われて)、人々は都市をつくった。ならず者の都市でもあり、自由人の都市でもあった。都市の魅力はそこにある。例外を嫌う組織行動の発想では「まち歩き」の面白さは出てこないだろう。 

 

 

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