「長崎さるく博」もうすぐ閉幕ですが長崎の記憶と知の蓄積

「長崎さるく博」で何ができたのか。そのまえに「何ができなかったのか」を考えておくことの重要さは百も承知していますが、自賛するようですが、「さるく博」ではできなかったことよりできたことの方が大きいと思っています(できなかったことは、いずれ語りましょう)。まず、都市観光のイメージに「まち歩き」を定着させました。それを先駆ける都市として長崎が名乗りをあげ、「まち歩きのまち・長崎」がデビューしました。もちろん、それを支えているのは市民のコンセンサスであり、ガイドさんやまち歩きシステムの整備です。これらによって長崎観光の新しい姿が生まれました。私は、もうひとつ、ひそかに「やった」と思っていることがあります。それは、長崎における知の蓄積です。

長崎というまちは、特異なまちです。第1に、キリスト教都市です。こんな都市は日本で他にありません。16世紀に最初のキリシタン大名である大村純忠がイエズス会のポルトガル人の要請を受け入れて長崎のまちの建設が始まりました。その後の禁教令と殉教の歴史、開国時の大浦天主堂と信徒復活、その後の浦上四番崩れと浦上天主堂、その上空での原爆炸裂と、キリスト教史上でもまれにみる数奇な運命を長崎はたどっています。第2に、貿易都市としての異文化による繁栄です。出島と唐人屋敷での貿易独占は徳川幕府と長崎に莫大な利益をもたらしました。元禄文化はその利益で成立したという説もあるほどです。長崎住民には「かまど銀」や「箇所銀」というボーナスが年2回150年間にわたって支給されてきました。こうして長崎の華やかで分厚い消費文化がうまれました。第3は 、日本の夜明けです。民主主義も国民軍も国際法も地動説も西洋医学も、みんな長崎から輸入されました。とりわけ、長崎伝習所でオランダ人から艦船操舵の訓練を受け、製鉄、造船の知識を得て設備を建造したことが近代産業のことの起こり、「ものづくり大国日本」の始まりだったことです。長崎のまちにはこの3つのことがまだ色濃く残っています。ところが、これらの歴史事実は、日本人ならだれでも知っているようで、現実にはほとんどの人が知らない。士農工商の身分制度がいとも簡単に消滅したのはなぜなのかは長崎を知らないと理解できないはずですが、長崎はチャンポンと原爆のまちだと多くの日本人は思っています。日本人が「国際化」を語るときに長崎を避けて通ることはできないはずなのに、東京の大学の国際関係学部で「長崎」が語られることはほとんどありません。

しかし、「さるく博」で、長崎は自ら率先してこれらの歴史の検証を市民総出でやり始めました。ガイドさんは 、まちの中にある具体的なモノを通して、我がまちの記憶を説明し始めました。マップを手に長崎をさるいた人々は、程度の差こそあれ、長崎の特異性に気付いたはずです。それが、212日間繰り返して行われたのです。なんとなく忘れかけていた記憶が少しずつ蘇ってきたようです。実際、私が精霊流しに招いた大阪の5組の夫婦も長崎の魅力に取り付かれたようで「長崎がこんなに意味深いまちであったとは」と感嘆の声をあげていました。さるくに参加された市民の多くが「住んでいながら知らなかった」と先人の華々しい歴史に驚きと誇りを感じられたようすです。「さるく博」で、長崎の「知」が、いままでより少し厚く、長崎のまちに蓄積されたように思います。

都市を魅力的にするには、このような知の蓄積が欠かせません。女神大橋は長崎街道という交流の道の延長線上にイメージすることで美しさが増します。松ヶ枝埠頭に停泊する豪華客船は、かつて沖合いに現れたオランダ船や唐船の映像とダブルことで長崎の面白さがでます。長崎をもっともっとステキなまちにするには、簡単なことです、いま始まった知の蓄積をやめないで続けていくことです。少しずつ、丹念に、記憶の呼び戻しを繰り返してそれを市民が共有し、誇りを再確認していくことです。これは、日本と日本人の文化の誇りのためにも長崎市民にお願いしておきたいことです。

 

 

One Response to “「長崎さるく博」もうすぐ閉幕ですが長崎の記憶と知の蓄積”

  1. あっこ Says:

    茶谷さん、先日はお会いいただきどうもありがとうございました。(http://littletulip.hellokitty.ne.jp/blog/g/10339478.html)
    おかげさまで先日、長崎ツアーが無事2件終了。長崎のすばらしい魅力を外国人旅行客に伝える貢献が、僅かながらできたかと思います。トルコ、ギリシャのお客様グループでしたが、大変興味をもって聞いてくださいました。特にキリシタン弾圧の背景&理由と日本の仏教や神道との兼ね合い、鎖国中の長崎のオランダとのかかわりについて、また原爆に対する日本人のスタンスについて、関心を持つお客様が多かったです。大浦天主堂にて隠れキリシタンの発見について説明したときは、皆目を輝かせていました。
    こちらにわかりやすく長崎の歴史背景をまとめられているのですね、再度学習させていただき、次回に生かそうと思います。

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