「長崎さるく博」もうすぐ閉幕ですがゥイドさんのふんばり

ここでガイドさんのことを書いておかねばなりません。「長崎さるく博」のガイドさんは「さるくガイド」と呼ばれて他のガイドさんと区別されています。他のガイドさんとは、長崎には主に就学旅行生を対象にした「観光ボランティアガイド」や、原爆資料館などの平和関連施設をガイドする「平和案内人」や、クルージングで軍艦島を解説するガイドなど、先輩のガイド組織がいくつかあります。組織母体が異なるので目的や対象者によってガイドさんの呼び名が異なるのですが、同じ人が重なって登録されていることが多く、実態は全体で100人ほどの先輩ガイドさんが「さるく博」以前からおられました。そこへ「さるくガイド」が、押し入ってきたわけです。

「さるく博」は、長崎の魅力を楽しんでもらうイベントですから、来訪者に楽しさを伝えることが何より大切です。従来からのガイドさんの役割には、歴史知識を伝えることに力点が置かれていましたから、「さるく博」の意図とはすこし異なります。ここのところで、当初は少なからず多くのガイドさんに戸惑いがありました。「歴史のことも熟知しないでガイドとはいえない」という意見も根強くありました。「さるく博」では、歴史知識も大切だが、このまちの人が日ごろ何を考え、何を食べ、どのような暮らしをしているのかも伝えてほしいとお願いしました。このまちで知った喜び、このまちで知った悲しみ、初恋やデートのこと、友人のこと、さては子育てや今夜の夕餉やゴミ処理のことなど、長崎のこと何でも伝えて欲しいと私は思いました。それこそが長崎のまちの魅力なんです。多くの「さるくガイド」さんは、戸惑いながらも、やがて自分たちが実感する長崎を語り始めました。三菱造船所で世界一の客船の建造にかかわった誇り、一度東京にでて長崎にUターンしたわけ、飼っている猫の尾っぽが曲がっていること、こうして話が進めば「さるく博」は長崎観光というよりガイドさんとの会話がテーマなのだということに誰しも気がついていくのです。自分の記憶を語る、これが「さるくガイド」の真骨頂であるとの理解が進んできています。このようなガイドさんの変化にともなって「さるくガイド」さんの数も急速にふえていきました。私でもやれる、とみんなが思うようになったからです。「さるくガイド」さんの実動数、400名ほど。これは都市ガイドさんとしては群を抜いて日本一(ひょとしたら世界一)です。

「まち歩き」も楽しいのですが、ガイドさんとの交歓はそれこそ「さるく博」の醍醐味です。人と人とのふれあいが、「さるく博」が進行するに従って深くなり、いまや新しい長崎名物になりつつあります。同じコースでもガイドさんが違えば面白みが変わります。ガイドさんによってまちの見え方まで違ってくるのです。同じ演目でも役者それぞれの演技を楽しむ歌舞伎のような、オペラのような趣が「長崎さるく」にはあります。そして、このような内容の深化が、「まち歩き」だけの「さるく博」の単調さを救い、単に「まち歩き」だけでない豊かな情趣を長崎観光に加えることになりました。

こうしてガイドさんの熟達ぶりが「さるく博」の質的な変化をもたらしたのですが、このことにまったく気付かずに、「観光客が何人増えた」とか(それも大切ですが)、「観光客からおいしいチャンポンの店の推薦を請われても答えないのは行政の限界だ」など、無理解な「評価」がいまでもまかり通っているのは悲しいことです。「何人増えた」よりも「何人喜んだ」を大切にしたいし、「あの店のチャンポンが私は好きです、と言ってよい」というのが「さるく博」のスピリットなんですがね。このことが徹底して関係者すべてに理解されているとは思っていませんが、そのような「個人の思い」を大切に追求しているという「さるく博」の根本精神に少しは思いを寄せていただきたいと思うことがしばしばあります。

もうひとつ、さるくガイドさんが長崎に与えた影響を書いておきます。それは、長崎をガイドすることが個人の趣味や関心を超えて、長崎のまちにとってとても重要なことなんだという認識が市民の間に広がったことです。自分のまちのことを自分が知って、それを知らない人に伝えるということが長崎にとって大切なことだと多くの人が気付き始めたことです。ですから、友人が東京から訪ねてきたら「ウチが長崎ばガイドすんね」(この表現、自信ない)、学校や職場でも「新人歓迎さるく」や町内会での「わがまちさるく」が、公式「さるくガイド」さんと関係なく、とても盛んになってきたことです。特に、小学生が先生と校区をさるく学習は、長崎では当然のことのようになりました。こうなるとガイドさんは物好きでガイドをやっているのではなく、長崎にとって必然的な役割として存在するようになったということがお分かりいただけるでしょう。

「さるく博」は、ガイドさんをとおして、単なる「まち歩き」から自己成長して、いや、進化して、長崎の日常的な文化と生活の大切な基盤になりつつあります。このことは、プロデューサーのイマジネーションをはるかに超えた出来事です。「すごい」、長崎は。それを実現したのは、梅雨の長雨にもめげず、いつまでも衰えない夏の暑さにも負けず、大型台風にもくじけずに(長崎を直撃した台風13号で窓を飛ばされ、屋根を剥がされ、部屋を水浸しにしながら1日もガイドを中断されなかった何人かのガイドさんのことを、私は胸を詰まらせて思い出します)、「さるく博」を継続してくれたガイドさんたちです。「さるく博」は、電力のスイッチを入れればなんとか動く大型映像やロボットのパビリオンもないために、ガイドさんが「もうやめた」といえば「ハイ、それまで」というイベントでしたから、212日間(あと2週間あります)持続したのは、ひとえにガイドさんのチカラによるものです。「さるく博」閉幕の日、今月の29日の夜に、私がしみじみつぶやく言葉は「ガイドさん、ありがとう」の言葉しかありません。

 

 

 

 

 

 

 

Leave a Reply