「長崎さるく博」2004報告

 2004年の「長崎さるく博」についてご報告します。
 
 「長崎市民ならうまくやる」なんて書いたけれど、実のところ、とても不安なまま2004年10月からの2年前プレイベントに突っ込みました。 
 なぜ不安だったのか? 理由は2つあります。,泙訴發が博覧会になるか、という不安 ∋毀韻本当にやるか、という不安です。

,泙訴發が博覧会になるか、という不安

 だって、まち歩きなんて、誰でもやってきたことだし、旅行に行けばまちを歩くのは当然でしょ、という声が聞こえてきます。実際、「そんなことで人が呼べるの(集客できるの)?」とよく聞かれました。「まち歩き」はいま流行中ですから、「歩く楽しみは理解できるけれど、長崎を歩く特別な楽しみを(つまりイベントを)つくらなくちゃね」と、おっしゃる方は大勢います。私もそう思わないことはありませんが、本音はちょっと違うんです。本音は、長崎のナマの姿、化粧なしのスッピン、日々の生活の実情そのもの、つまり日常性で勝負できないかというところにあります。理屈っぽくいうと、長崎の生活文化です。
 観光客が長崎に行きたくなるために、また、市民が活気づくために、なにか特別なイベントをやるというのは従来からのフツーの発想でした。だから、博覧会などの大型イベントをやります。人気歌手が歌ったり、先端映像を上映したり、観覧車が回ったり、とにかく“人寄せパンダ”を企画します。実際「月の石」や「IMAX映像」「パンダ」には強力な人寄せ効果ありました。来年の愛知万博にも「冷凍マンモス」があります。ここがプロデューサーの腕の見せ所だよといわれます。ヨン様とマイケルジャクソンのステージをつくったら、相当悪趣味ですが、観光客10万人には堅いでしょう。しかしそれで良いんでしょうか。
 長崎の都市観光は、長崎そのもので勝負する。やはりこれが本道ではありませんか。第一、ヨン様もマイケルジャクソンも1日きりで終わりです。長崎は、ずーとでしょ。観光は、ずーとが大切なんです。長崎は詰め込めば1日約1万5千人の宿泊が可能です。1年で500万人、人口の10倍を超える宿泊者を受け入れる事ができます。これこそ有能な観光都市の実力ですが、その能力は、いま、半分しか使われていません。1日に10万人のファンが駆けつけても、長崎の都市観光のためには経費がかかる割には「それっぽっち」ということがお分かりでしょう。それより、1万人が10日間の方が賢者の策です。「スッピンの長崎」は、日常性そのもので、手の込んだイベントではありませんから、費用もかからず何の無理もない素材です。これが、観光客を惹きつけて市民を喜ばすような魅力のあるものであれば、それにこしたことはありません。私はそう考えて、とことんスッピンに固執したいと思いました。
 そこで、スッピンの長崎がどうしたら魅力的であるかです。幸いにして、長崎は歴史であれ、まちの姿であれ、食べ物であれ、そもそもが魅力的です。このあたりのことをくどくどと書き始めると、またか、ということになるので止しますが、日本中の人が「一度は長崎へ行ってみたい」と言うのは事実です。そこで何で釣るか。失礼な言い方をあえてすると何を餌にするかです。いままでグラバー園と平和公園がその代表でした。これらは非常に強力な魅力で、長崎観光は大成功を収めてきました。ところが、ちかごろそれも飽きられてきて威力がすっかり減退気味なんです。そこで、「長崎にはもっと楽しいところがいっぱいあるよ」ということになり、「それじゃ、歩いてもらおう」という結論になりました。
 しかしこの結論はすこし無理があります。「長崎のまちは、歩いて本当に面白いのか」ということが、分からないのです。通勤、通学、買い物のまち歩きとは、ちょっと違うことに注意してください。それは、歩くことに楽しみを求める歩き方なんです。その事を今回は「すてきに、ちてきに、げんきに」と表現しました。まちを歩くことは「素敵で知的で元気なこと」なんです。「長崎のまちはそんな気分を満たすまちなんですよ」ということが、「長崎さるく博」の主張です。
 問題は、人々にそんなことを理解してもらえるか、です。かなり難しい、それこそ知的な意識が必要ですからね。
 そして、もしそんな意識の長崎市民が大勢いて、日本中にも大勢の人々がそう思えば、まち歩きの博覧会「長崎さるく博」は成立します。この博覧会を称して「日本ではじめてのまち歩き博覧会」ということにしましたが、これには、この魅力を多くの人にわかってもらいたいという私たちの願いと自負がこめられています。私にとっては、祈るような気持ちがこめられていると言ったほうが正確でしょう。

 

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