長崎は「さるく」である。

 「長崎さるく博」の「さるく」とは、「歩く」という意味です。もちろん方言で、長崎人に言わせると「若い人は使わないかもしれないが、あっちこっちほっつき歩くということ」だそうです。理屈っぽく言うと、「興味にまかせて歩き回る」ということです。
 「観光」とは本来「さるく」もので、あっちのお寺に参ったついでに芝居を見たり、かんざし買ったり、饅頭食べたり、帰り道では近くに住む誰々さんちに寄ってみたり、1泊、2泊の観光なら夜の居酒屋で土地の人と話を弾ますなり・・・いつから観光が観光バスのお仕着せコースになっちゃったんですかね。このあたりのことは、この連載の別カテゴリー「『観光』を考える」を読んでもらえば分かるかな。いずれにしろ、観光のほんとうの楽しさは「さるく」にあるはずです。長崎は都市観光として「さるく」楽しみを、いま、完全復活させようとするのです。
 「都市観光」がいま注目されています。外国へ観光に出かけるときは、都市観光が主流です。ニューヨークに行く、パリに行く、上海に行く、と、一般に外国旅行するということは都市を訪ねるということです。魅力的な都市には美術館やコンサートホールや劇場や食べ物があって、世界中の人々を引き付けます。もちろんリゾート地に行ったり、田園を訪ねたりしますが、その場合でも都市を基地にしたり、立ち寄ったりします。都市が観光の基点になっています。ところが、日本国内の観光ではあんまり都市が対象になりません。いきなり「名所旧跡温泉宴会」です。それは、正直いって日本の都市から個性がなくなって、どこも金太郎飴で、行っても面白くなかったからです。それだけではありません。その都市に「観光してもらう都市」としての自覚がなく、逆に観光都市といわれると「近代産業の育成されていない遅れたイナカ都市」と言われているようでイヤだという感情が日本の都市にあるからです。その証拠に、東京も大阪も横浜も神戸も「観光都市」と呼ばれることを極端に嫌います。ニューヨークやパリが観光都市と呼ばれることに誇りを持っているのと正反対です。
 ところが、このあたりで日本も「都市観光」を見直そうという機運が生まれてきました。理由はいろいろありますが、観光が重要な産業であるということが分かってきたと同時に、観光都市は都市としてのクオリティも高いということがわかってきたからです。
 長崎は日本を代表する「都市観光」の都市です。国を閉ざしていた江戸時代には長崎が唯一外国に向けて開けられた窓でした。ですから外国の文物も、知識も、思想もこのまちから入ってきました。砂糖もガラスもボウリングも象も平民主権も万国公法も医療も造船も、です。江戸も大坂も日本人意識などありようがなかったのですが、長崎には外国人と対比した日本人の概念がここにはありました。つまり国際都市だったわけです。日本で唯一の革命である明治維新の国内戦争に使われた理論と武器は、このまちから輸入されました。薩摩も長州も幕府もこのまちで時代の流れを掴もうとしました。坂本竜馬も勝海舟も福沢諭吉も、といえばおわかりいただけますね。近代日本の重工業もこのまちで誕生しました。隠れキリシタンが信仰を告白し、そして迫害された(なんと明治のことですよ)のも長崎です。その世界のキリスト教史に殉教の名を大きく残すこのまちがキリスト教国から原爆を落とされたという皮肉な事実も。
 このように考えると、私たち日本人は、「長崎」の持つ意味を、近代主義に行き詰まりを示すいまであるからこそ、もう一度訊ねなおしてみるべきではありませんか。
 長崎の人々は、グラバー園とオランダ坂と平和公園だけでなく、「知られていない長崎をもっと知ってもらおう」と考えて、「長崎さるく博」を始めることにしたんです。
 具体的にどんなことをやるのか、って? あわてないで。次回に詳しく紹介します。「長崎流都市観光の仕組み」です。これがすごいんです。

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